秦郁彦

ヘーゲルは歴史を「異なるイデオロギーがくり広げる闘争の場」と定義したが、たしかに民主主義、マルクス主義、反ユダヤ、八紘一宇思想、イスラム原理主義のように強烈なイデオロギーの眼鏡を通すと、それぞれ違う歴史の風景が見えてくるはずだ。 実証主義を掲げるプロの歴史家も例外ではない。その結果、大東亜戦争を日本の「侵略戦争」と規定するプロの左派歴史家と、それを「自衛」ないし「聖戦」と見なすアマの右派歴史家が同じ土俵で対峙するのを、不毛なイデオロギー論争に割りこむのをためらい沈黙するか見守るだけの中間派という構図ができあがる。 ** 仕掛人が歴史の分野に集中するのも、黒白がつきやすい自然科学分野の争点とちがい、解釈の余地が広く、極端な場合には通説を裏返した陰謀史観の叙述さえ可能だからであろう。